戦後国語改革のもたらした問題

・当用漢字字体表当用漢字表が公布された翌年(1947年)7月15日、「活字の字体を整理統一する具体案を求め、教科書に用いるものを統一するだけではなく、一般社会において用いられるものもこれにならうようにすすめて文字教育の効果をあげ、教育上の負担を軽…

戦後国語改革の頓挫

しかし、音標文字化に向けた国語改革の気運はその後急速に衰弱していき、最終的には頓挫してしまう。戦後の混乱も治まり、極端な進歩主義的風潮が落ち着きを見せると同時に、ことの重大さにようやく気づいた知識人たちがまとまって国語改革に反対し、その撤…

「当用漢字」「現代かなづかい」の公布

1946年9月21日、主査委員会により制定された「現代かなづかい」は国語審議会第11回総会に提出され、過半数の賛成を得て可決・答申。さらに同年11月5日には「当用漢字表」1850字が国語審議会第12回総会に提出され、こちらも過半数の賛成を得て可決・答申され…

「当用漢字」「現代かなづかい」の制定

漢字主査委員会は前述の通り「標準漢字表」2528字の再検討を行った。1945年12月17日から翌年4月8日までの間に14回の会議が開かれ、そのなかで「標準漢字表」2528字を1295字にまで縮減、これを「当用漢字」として決議発表した。「当用漢字」では、使用頻度の…

G.H.Q.の後押し

1946年3月5日、G.H.Q.の招きで来日したアメリカ教育使節団は、到着からひと月も経たない3月31日に報告書を提出し、その中で学校教育における漢字の弊害とローマ字の便を強調すると同時に、第二章「國語の改革」内で日本政府に漢字の廃止とローマ字の採用を勧…

敗戦のもたらした進歩主義的風潮

1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し連合軍に無条件降伏、以降1952年までG.H.Q.の統治下に下ることとなるが、こと「敗戦」という事実が戦後の日本に与えたショックは非常に大きかった。そしてそれはとりもなおさず、日本における進歩主義的風潮を煽る…