戦後国語改革の頓挫

 しかし、音標文字化に向けた国語改革の気運はその後急速に衰弱していき、最終的には頓挫してしまう。戦後の混乱も治まり、極端な進歩主義的風潮が落ち着きを見せると同時に、ことの重大さにようやく気づいた知識人たちがまとまって国語改革に反対し、その撤回を要求し始めたからである。しかしその時点で国語改革がおこなわれてから既に十年以上の年月が経過しており、もはや「当用漢字」「現代かなづかい」は撤回不可能なほど日本の言語文化に深く浸透してしまっていた。そのため、彼等の主張がいかに論理的に文部省を打ち破っても、いかに当該政策の継続が日本の文化にとって致命的であると論証しても、せいぜい音標文字化の進行を食い止めるぐらいの成果しかあげることができなかったのである。

 そういったわけで、日本語は「当用漢字」「現代かなづかい」以降急激な変化を一度も迎えることなく、かつて音標文字化を主張した人々にとっても、またそれに反対した人々にとっても到底納得のいかない形状を呈したまま、今日まで引き継がれている。国語審議会は現在も惰性的に存続してはいるものの、かつてのように理想の実現に向けて邁進するような気力はもはや持ち合わせておらず、さりとて戦後の改革を根本的に再検討するつもりもさらさらない。今やごく微温的な、無力なものに成り下がってしまっている。